昏睡状態から12年ぶりに目覚めた息子・・・『目が覚めた後の衝撃的な事実が明らかに』
目覚めた時に彼がどういった状態だったのか判明します。
彼は昏睡状態でどのような体験をしたのでしょうか?
ぜひ読んでみてください。
3人兄妹の一番上で健康な男の子
南アフリカ出身のマーティン・ピストリウス(MartinPistorius)さんは3人兄妹の一番上で健康な男の子でした。
マーティンさんは1976年に南アフリカのヨハネスブルグに生まれ、機械技師の父・ロドニーさんとレントゲン技師の母・ジョアンさん、さらに妹と弟と共に幸せな生活を送っていました。
しかし、12歳のときに突如激しい喉の痛みに襲われました。
最初はただの風邪だと思っていたのですが、どんどん食欲がなくなっていき、日中に何時間も眠ったり、歩くと足に激痛が走ったり、風邪とは思えない症状が次々に現れたのです。
ただ事ではないと感じ、両親は数々の有名病院で診察や検査を受けさせたのですが、病名や治療法は判明しません。
さらに、イギリスやアメリカなどの国外の専門医にも助けを求めました。
そんな中、マーティンさんは思考力、記憶力までもが徐々に失われていき、やがて「クリプトコッカス髄膜炎」を発症します。
そして、ついに昏睡状態に陥ってしまったのです。
1日中マーティンさんの看病をする生活をスタート
母ジョアンさんはレントゲン技師の仕事を辞め、1日中マーティンさんの看病をする生活をスタートさせます。
しかし、意識を失ってから1年が経過しても回復の兆しは一向に見られませんでした。
そんな時、看病に疲れて息子を助けることのできない自責の念に悩んでいたジョアンさんは自らの命を絶とうとします・・・。
結果的には未遂で済んだのですが、ジョアンさんにはマーティンさんを介護する余力は残っておらず、今度は父、ロドニーさんが介護をすることになりました。
しかし、ロドニーさんは昼間に仕事があるのでその間はマーティンさんは介護施設へと預けられることになったのです。
出勤前に預けて、夕方に仕事を終えると施設まで迎えに行き、マーティンさんが眠るまで世話をし続けるという日々を送る父のロドニーさん。
施設が休みの日は1人でマーティンさんの面倒を見ることになります。
意識が戻らないまま、3年の月日が経ち、マーティンさんは16歳になりました。
ある日、マーティンさんは突如意識を取り戻します。
しかし、意識を取り戻したことを伝えたくても声を発することも視線を変えることも出来ませんでした。
マーティンさんは自分の意思を伝えることが一切できない状況、いわゆる「閉じ込め症候群」と呼ばれる状態になってしまいました。
徐々に意識が回復していき、19歳になる頃には自分の状況を完全に把握できるようになっていたといいます。
そして、自分の存在が家族の負担になっていることに対してとても苦しんでいたといいます。
マーティンさんにとっても家族にとってもお互いが辛い日々を過ごしていると感じていたのです。
そして、追い詰められた母・ジョアンさんが、ある言葉を口にしてしまいます。
心身ともに追い詰められていたジョアンさんは、息子の前で・・・
心身ともに追い詰められていたジョアンさんは・・・
「楽になってくれたらいいのに・・・」
と呟いてしまったのです。
この言葉は本心ではないのですが、容態の良くならないマーティンさんの看病に精神的に追い詰められたしまったことで出てしまった言葉だったのです。
マーティンさんは目の前で母がそんな言葉を口にするのをただただ聞いていました。
彼は当時のことをこのように話しています。
彼は当時のことをこのように話しています
言われた通りにしたかった。
人生を終えたくて仕方なかった。
こんな言葉を聞くのに耐えられなかった。
母親の言葉を聞いて本当に悲しかったけど、でも彼女がなぜそんな事を言ったのか僕にはわかったから恨んだりなんかしていなかったし、それどころか自分の気持ちを伝えられない方が悲しかったよ。
後にマーティンさんが本当は意識が戻っていた事を知って
涙を流しながらジョアンさんがインタビューに答えています。
涙を流しながらジョアンさんがインタビューに答えています
私は彼がまさか聞こえているなんて思いもしなかった。
私は何て酷いことを言ってしまったんだろう。
マーティンには本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。
さらにマーティンさんは意思を伝えられない状況で起こっていたある事実を告白しました。
施設で受けていた苦しみ
マーティンさんの看病に心身共に疲れていた家族は時に数週間マーティンさんを施設に預けることがありました。
しかし、この施設はマーティンさんを人形のように扱う、とても最悪な施設だったそうです。
生活の殆どをこの介護施設で過ごしていたマーティンさんは職員からさまざまな事を受けていたそうです。
両親はそんな実態を知る由もありませんでした。
そして、マーティンさんがその事実を伝えることもできませんでした。
さて、マーティンさんが意識を取り戻してから約10年、25歳になった彼は誰かが自分の変化に気づいてくれるはずという
希望を失っていました。
しかし、ある女性との奇跡的な出会いがマーティンさんの運命を変えます。
ある女性との奇跡的な出会い
もはや希望を失っていたマーティンさんですが、アロママッサージを担当する介護士のヴァーナさんという女性との出会いが奇跡を生みます。
ヴァーナさんはそれまでの介護士とは違い、マーティンさんをモノのようには扱いませんでした。
まるで友人のように話かけてくれます。
ヴァーナさんは長い間、マーティンさんの顔を見ながらコミュニケーションを図っていました。
そして、マーティンさんの顔を見ているうちにある疑問を持つようになったのです。
もしかしたら、マーティンさんに意識があるのではないか?
ヴァーナさんは、とある大学の重度障害者用センターにマーティンさんを連れていき、意識があるかどうかの検査を受けさせることにしました。
そして検査の結果、マーティンさんに意識があることが発覚したのです。
この検査結果を知ったジョアンさんは再び仕事を辞めることを決心し、一日中マーティンさんに付き添うことを決めます。
そして、一緒にコミュニケーションの訓練やリハビリに励みました。
リハビリを開始してから1年が経った頃、マーティンさんは赤外線で画面のキーボードの文字や画をポイントし、意思を伝えるコンピュータを手に入れ、それを使って会話することができるまでに回復していました。
そして、痛みに耐えながらリハビリを続けたマーティンんさんは5年後に自分の手でキーボードを打ち、パソコンを使いこなせるまでに回復。
その後はパソコンの情報処理を専門的に学ぶために大学で勉強をして、フリーランスのウェブデザイナーとして活躍をしています。
さらに、妹の紹介で知り合った女性と結婚をして現在はイギリスで暮らしているそうです。
意識が回復しても動くことも喋ることもできず、ただただ寝転がっているだけのマーティンさん。
その苦しみは想像できないほどの恐怖だったことと思います。
そんな過酷な運命を乗り越え、現在はとても元気に暮らしているマーティンさん。
失われた時間の分も幸せになってくれることを願います。
いかがでしたか?
もしも、私が彼と同じ状態になったら
「この状況を乗り越えることができるのか?」
「生きる希望が持てるのか?」
私なら無理かもと思ってしまいました。
皆さんはどう思われましたか?
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
出典元:dailymail
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